練習してもうまくならないのはセンスのせいか?
どうもテナジーです(^^♪
今回は、センスの話を書きます。
練習してもうまくならないことを繰り返していくと、次第にこんな感じに思ってしまう人がいます。
俺には、私には、センスが足りないんだ、いくら練習しても、センスがないから周りに追いつけない
という感じ(^_^;)
さて、本当にセンスのせいなのでしょうか?
僕の考えを書いていきます。
卓球が上手くならないのはセンスのせいか?
まず、はっきり断言しておくと、僕から言わせれば、
センスがないからと言って、上手くならないということは、絶対にないです。
人一倍、練習している選手が、センスがないから、周りの選手に勝てないということはないです。
練習の力は自分がおもっている以上に偉大です。
センスはあるが、練習をしない選手、センスはないが、練習をする選手、練習をする選手の方が、はるかに上手くなります。
プロに近いレベルの卓球でもない限り、努力が嘘をつくなんてことはないと、僕は思います。
しかし、現状をみれば、努力してもうまくならない選手、努力しても全然周りに追いついけない選手というのはいますよね。
練習は裏切らないはずなのに・・・
なぜ、こんなことが起きてしまうのか、それには、大きな原因があります。
で、この大きな、原因を話す前に、ちょっとしたおまけの原因を。
よく、ありがちなのが、自分は人一倍練習しているとおもいこんでしまう事。
練習した気になっている。例えば、部活を一生懸命、人より、練習しました。
これは、練習した気になっているだけです。
周りには、よそに卓球をしに行っている人もいるでしょうし、そもそも、この程度、練習量に差をつけたところで、他の人とセンスの差があった場合、埋まりません。
まあ、このサイトを見ている人に限っては、本当に人の倍練習している人だと思うので、
おまけの原因として、この程度にしておきますが、思い当たる節のある人は、自分の練習量を見つめなおしてみてください。
では、本題に入ります。
なぜ、練習してもうまくならないのか?
端的に答えを言うと、間違った努力をしているから。
まず、ココがずれている人がいます。
※他にもいろいろ理由はあります。のちのちに書きます。
僕はサイトのトップページで語っている通り、昔、野球をやっていました。
で、その時に、バッテイングフォームを壊したという過去があるんですが、
この時の僕は、間違ったフォームをただ、ひたすらに練習してし続けてしまい、気づいたときには、手遅れという状態になっていました。
上手くなるどころが、一歩も前に進めず、むしろ悪化。
練習し続けても結果が出ず、自分にはセンスが足りないのか?体格が足りないから、打てないのか?
と悩みました。ですが、これは当たり前ですよね。間違ったフォームだから(^_^;)
まあ、僕の場合は、もうこの時点で取り返しがつかなくなるほど、フォームを壊してしまいましたが、
このページを見てくれている人の中では、まだ、引きかえせる人が多くいるはずです。
正しい努力をしなければ、結果は出ない。
当然の話なんです(^_^;)
で、これだけだとどこでも、同じこと言っているよ、という人がいると思うので、ここからがさらに本題。
これで終わってしまうから、僕からみれば、いつまでたっても、結果が変わらない。
努力でセンスの差を埋めることができない。自分にはセンスがないと勘違いしてしまう。
間違った努力をしている、じゃあ、正しい努力をすればよい、おしまい。じゃダメなんです(^_^;)
センスを超えるには?
僕が考える、卓球がうまくなるのに必要な要素は、
考え方(自分で考える力)×努力(質と量)×センス(運動神経・向き不向きなど)です。
※大学で聞いた話が使えそうだったんで、ちょっと応用してみました
で、よく見てほしいんですが、センスは、一番最後です。
そして、掛け算。
つまり、僕が一番大事にしているのは、考える力の部分。
で、ココだけ、+ではなくて、−が存在します。
もし、ココがマイナスなら、まずいですよね。
仮に考え方がマイナス80だとすると、練習量がいくら優れていても、
練習の質がいくら優れてもいても、センスがあっても、それは、とんでもない−の結果を生みます。
マイナスにプラスとプラスかけたら、マイナスですからね。
で、練習してもうまくならない人は、だいたい考え方の部分がまずい。
考え方の部分がゼロになってたり、−になってたり。それで、結果、とんでもない方向に進んでいく(^_^;)
ココを、−じゃなくて、+にしてほしいんです。
つまり、土台となる考える力に意識を置いてほしい。
このサイトで何度も言っていますが、卓球がうまくならない人に足りないのは、まあ、卓球に限らずスポーツのくくりで見ても、自分で考える力です。
自分には、センスがあるのか、努力は足りているか、この辺のことを気にする人はたくさんいます。
でも、僕から言わせると、一番、土台の自分で考える力に関しては、ほとんど意識してない。
考え方あっての、努力、センスなのに、一番大事なところが欠けているから、どんどん間違った方向に進んでしまうんです(^_^;)
自分で考える力と練習の質と量を磨けばセンスの壁は越せる!
さっきのかけ算で見る限り、センスの部分は、基本的にかえようがありません。
もちろん、練習をしていく中で、センスが身についていくことはあると思いますし、
実際、かなり練習してみてからでないと、また、極限まで練習しても、
そもそも、自分にセンスがあるかないかなんてもんは、他人が勝手に評価しているだけで、わからないと僕は、考えています。
ですから、残りの二つ、考え方と努力を磨いてほしいんです。
性格に言えば、練習は量と質あるので、3つの項目。
これを全部意識して磨けば、多少のセンスの差は埋まります。
で、まず、練習から。
練習量
これは、たぶん、このサイトを見ている人なら、大丈夫だと思うので、触れるだけ。
練習量が確保されていないと、やはり上達は見えてきません。
練習の質
どちらかというと、卓球が上手くならない人は、こっちがかけている場合が多いです。
質がひどい。
とりあえず、量をこなせばよいと考えている(^_^;)
例えばですが、実際に卓球台を使って打つのと、素振りをするのを、同じ時間行った場合、台を使って打つ方がうまくなりますよね。
実際にボール打っているわけですから。
この二つの選択肢がある中で素振りを選んでしまうと、練習量の割に、成果が上がらない、質の低い練習ということになってしまいます(^_^;)
これは、簡単な例ですが、こんな感じで知らず知らずに質がかけている人が多いです。
もう一度練習の質を見直してみてください。
また、質が上がると、練習量は少なくても良いと考えてしまう人がいるので、その点は注意してください。
質+量、どちらも大事です。
自分で考える力が超大事!
これが、本当に大事。
練習量も、練習の質も、間違った練習になるか、正しい練習を選択でるか?
全部、自分で考える力があるか、ないかで変わってきます。
で、さっき言ったように、間違った努力を正しい努力にしようとするだけでダメなのは、自分で考える力が必要だからなんです。
僕の例で行くと、さっき話た通り、野球の時にフォームを壊した僕は、
間違った努力をしていたことに気づき、正しい練習をしないといけないというところにたどり着きました。
正しいフォームを身に着けないとまずいと。そして、もう少し頑張ってみようと粘ってみたわけですが、
カンが良い人には、お分かりのとおり、自分で考える力が、この時点で、なかった。
本を読んで、人に聞いて、これが正しいと書いてある、言われているのを実践していって
自分では、正しい努力をしているつもりでも、上手くはならなかった。
結局の所、間違った練習をしているから(^_^;)
で、やっと気づきました。考える力が、自分には、かけていると。
この本に書いてあることは、本当に正しいのか?
コーチが言っていることは、間違ってはいないか?
どうすれば、自分が本当に上手くなれるのか?
正しい練習を選択するために、何よりも、自分で考える力が必要だと。
まあ、もうこの時には、6年間の練習で、フォームは取り返しがつかない状態をさらに、悪化させた状態になってしまい、限界を感じて
高校にはいって卓球を始めたわけですが、この自分で考える力の大事さに気づけたおかげで、そこからは、どんどんうまくなれました。
具体例をあげれば、前に記事で書いたような、
など、今まで簡単にスルーしてた部分を考えるようになったから。
周りには、初心者なのに、そんなにはやくうまくなるのは、卓球のセンスがあるからと言ってくれる人もいましたが、僕自身はそうは思いませんでした。
自分で考える力を身に着けたことによって、間違った努力が正しい努力へと変わった、練習の質があがった
そして、もともと練習量は他の人より多いという武器が、うまくマッチした結果がということだと思います。
つまり。自分で考える力が全てを握っています。
この点に意識を置くか、おかないかで、自分が持ってた練習量という武器、センスという武器、すべてが生きてきます。
自分で考える力が付けば、マイナスが+になり、確実に上手くなる、このことをぜひ、体感してほしいですね。
おまけ〜そもそもセンスの差なのか?
そもそも、センスという言葉は使われ方があいまいです。
努力し続けることも、才能とすれば、それもセンスですし、
考える力が優れていれば、それもセンス。
無理やり考えれば、なんでもセンスになってしまう。超都合の良い言葉なんです。
そして、センスという言葉は逃げ道にも使えます。
さっきの話ともリンクしますが、自分が練習して相手を越せないと、
なにが違うのかをちゃんと、考えもせずに、センスの差と言って逃げてしまう。
でも、僕が卓球部に入って、センスがあると言われたときも、自分では、人より大幅にぬきんでたセンスがあるとは思わなかった。
考え方と、練習量、質があるから、人より、伸びるペースが速かったというのは、間違いないんです。
つまり、本当にセンスの差なのか?というところなんです。
本当にセンスのある人がどれほどいるのか?
センスの差じゃなくて、考える力の差ではないか?
センスの差ではなくて練習の質の差ではないか?
センスの前に練習量の差があるんじゃないのか
これらの積み重ねがセンスの差に見えているだけではないのか?
というところです。
で、これらの例をあげておきます。メジャーリーガのイチロー。
世界記録も達成した、野球界の生きるレジェンドですが、自分が天才と言われることに納得できないと言ってます。
確かに、周りから見れば、センスに満ち溢れた選手に見えるでしょうし、僕も最初はそう思いました。
ですが、その裏には、ぶれない考え方、練習量、質の高さが見えてきます。
特に考え方の部分は参考になります。
証拠にイチローは、野球以外の球技は、全然できないと言ってましたし、事実、プロになる前も、ギリギリでプロから指名されたという感じです。
確かに、本当にセンスのある人もいるんでしょうが、ごく一部だと僕は思います。
まして、とてつもない、センスを持ちながら、練習量も誰よりもこなせる人間が、そんな簡単に、自分の周りにいるでしょうか?
これを考えたら、限りなくゼロじゃないですかね。
だから、センスがないから、上手くなれない、周りに追いつけない、そんなことはないと僕は、思いますよ(^^♪
卓球がうまくならないのはセンスのせいか・まとめ
正しい練習を積み重ねる
自分で考える力が全ての土台
そもそも、センスの差と言えるのか?
卓球がうまくならない人にお勧めの本はコレ!
卓球をやっている人に野球関係の本を紹介するのもアレなんですが、イチローの考え方ははけっこう参考になるので。
たとえば、ちょっと引用すると、「苦しんだからって報われると思っていたら大間違いでしょう。同じ苦しむにしても考えて苦しまないと〜」
といった、目標に対する考え方、成功の秘訣が学べると思います。
イチローの自分の頭で物事を考え抜く姿勢が垣間見えてきますね。
まあ、個人的な感想としては、もうちょっとページ数かいて、作者のコメントの割合を減らしてほしいなと感じたんですが、卓球はもちろん、日々の生活においても役立つと思いますよ。
※ちなみに作者は心理評論家の児玉さんという方です。ほかにもイチロー関係の本を書いてる人ですね(^^)
興味のある方は、ぜひ一度、読んでみてはどうでしょうか。