卓球がうまくならない〜才能のあるなし

卓球がうまくならない〜才能のあるなし

 

 

どうもテナジーです。

 

 

どんなに努力しても、どんなにまじめに頑張っても卓球がうまくならない。自分は才能がないのか?と考えたくなる。

 

 

卓球がうまくならないのは才能のせいなのか?という話です。

 

 

前にも似たような記事を書いたことがありますが、これに対する答えは、

 

 

才能のあるなしは、正直言ってどうでもいい。ということです。

 

 

卓球がうまくならないのが才能のせいだったとして、だから何だという話。

 

 

仮に才能のせいだったら、やめてしまうのか?、才能のせいだったら、練習しないのか?という話になってしまうからです。

 

 

大事なのは、才能があってもなくても、やってやるぞとい気持ち。

 

 

なんとしてでも、うまくなってやる、絶対に試合に勝つというハート。

 

 

気持ちはわかります。うまくいかない時、特に他人と比較し始まると、あいつは大して努力もしていないのに、うまくなってるのに、自分はとか、天性の才能のあるプレイヤーを見て、自分にはとか、

 

 

人間なんで、その気持ちが芽生えてしまうのは仕方ないこと。それはあっていいし、別に無理に消す必要もない。

 

 

だけど、そこで悩み始まると、動きがストップして先に進まなくなる。

 

 

 

特に、スランプに陥りやすい、高不調の波が激しい、頑張っている割に、上達が遅い人は、このパターンが多い。

 

 

 

才能があろうが、なかろうが、どうしてもうまくなりたい、試合に勝ちたいなら、到達するまでやり続けるしかないし、

 

 

 

才能があるとか、ないとか、そういう話に構っている暇なんかない。

 

 

才能がなくても、だからなんだ。そんなもの、乗り越えていってやるぞ、という気持ちのほうが大事。うまくなるにはそのハート。

 

 

じゃないと、才能という言葉に踊らされる。

 

 

 

才能のあるなし

 

 

分は才能がないなと感じている人でも、正直言って、才能は眠っているだけだってことは多いと思う。

 

 

 

気休めじゃなくて、実際、途中で化ける人間はたくさんいるし、

 

 

トップのアスリートだって、とことんやってみたから、自分の才能が開花した、才能があることに気づけたってことは多い。

 

 

だから、ないなって思っている人でも、眠っているだけだと勝手に前向きにとらえていれば、特に悩まずに、卓球をやり続けられます。

 

 

 

大事なのは、卓球が好き、どうしてもうまくなりたい、どうしても勝ちたい、どうしても、卓球を続けたい、

 

 

その気持ちがどうなのか?

 

 

というところだけ。

 

 

卓球よりも、もっと向いているとにチャレンジして、自分の能力を試したいとか、自分なりにベストを尽くしたとか、そういう気持ちがあるなら、ほかのことをやるのもありだしね。

 

 

 

才能のあるなし、よりも、自分の気持ち次第。

 

 

才能の使い方

 

 

もう一つ。努力してもうまくならない。どんなに努力してもうまくならない。それならば、才能の使い方がまずい。

 

 

まじめな人、練習熱心な人、とことん努力できる人。そんな人達は、その時点ですごいが、はまると裏目に出がち。

 

 

自分も似た節はあるのであまり人のことは言えないが、

 

 

 

努力できる、とことん練習できる、やると、どこまでのめりこんで練習できる、それはその時点でもう才能。

 

 

ほかの人間ではそこまで執着してやり抜くことはできない。

 

 

トップのアスリートだって、誰よりも、没頭して、集中できるし、どこまでもやりとおす、情熱や、ハートを持っているから、あそこまで行ける。

 

 

だけど、それが裏目に出ると、すぐにはまる。スランプに陥った時まで、同じように、やりとおしてしまうと、底なし沼にはまって、引退まで追い込まれてしまうこともある。

 

 

つまり、劇薬には、使用方法があるように、使い方を誤ると、おかしな方向に行く。

 

 

才能があっても、それを発揮出るか?はまた別の話。

 

 

逆に才能がありすぎたからこそ、才能の使い方を誤った時、とことん、どん底まで行ってしまう。

 

 

そして、普通に卓球が上達していく人たちと、比較してさらにはまる。

 

 

コントロールが難しい。

 

 

才能があることを自覚してないのも、問題。自分には才能がないと思い込んでいると、そもそも、それをコントロールする発想すら、浮かんでこない。努力できる、没頭できる、どこまでもやりとおせる、それは、才能。

 

 

だけど、使い方次第で、天国にも地獄にも行く。

 

 

スランプに陥ったときに、どこまでも執着してしまうのか、それとも、一回、気分転換でもして、気持ちをリセットできるのか?ということになります。

 

 

劇薬に頼りすぎては、身を滅ぼします.。

 

 

まとめ

 

 

才能よりも、才能があってもなくてもやってやるという気持ちのほうが大事

 

才能があるのとそれを発揮できるのか?は別の話

 

 

才能をコントールすできるか?

 

 

 

 

 

 

 

 


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